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歴史的建造物②

思わぬ降雪に体を痛めた先週でした。
今は雪解けの為、脇道はぐちゃぐちゃで依然スタック続出中の伊達市です。
転送先のFacebookでは遠方からのコメントありがとうございました。
(個人では未登録なので本ブログからお礼を)
石蔵のお話を再開します。
はじめに、108坪の一号倉庫と70坪の二号倉庫の歴史をご紹介します。

明治維新による日本文化の大きな転換期に本道の開拓が進められ、今から152年前に仙台藩亘理伊達家領主、伊達邦成公によって伊達市の開拓が行われました。刀を鍬に持ち替え、当時は模範農村と呼ばれるほどの隆盛を誇ってきたそうです。
その後も農業の発展は続き、国内での生産物の需要も高まることで市内各所に点在した地域の信用購買組合により、木造や石造のたくさんの備蓄倉庫が建設されることになります。

一連の流れの中で本一号倉庫の建設が行われました。
棟札をみると大正15年12月17日。当時の組合長と工事請負人の名が書かれています。
大正は12月25日で終わりを迎えていますから、本当に大正の末期に建設された事になります。

管内の作物を鉄道駅横に位置する石蔵に集約し、非常に活気があったそうです。

二号倉庫は、昭和35年に築造。
二号倉庫の建築に至るまでには避けては通れない大戦の歴史がありました…つづく。
専務