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歴史的建造物③

昭和20年、終戦ひと月前にはいよいよ北海道胆振方面へも戦争の影が訪れます。
当時のB29爆撃機による空爆の北限は青森までらしく、襟裳岬沖にアメリカ艦隊の第38機動部隊が進軍してきます。

伊達は食糧基地とみなされたのではないかと考えられますが、同年7月14日に襟裳沖の艦隊からグラマン艦載機による空襲を受け、翌日には鉄鋼産業が盛んな室蘭が、艦砲射撃による戦火に包まれ甚大な被害を受けたそうです。

伊達市では、伊達紋別駅舎、稀府駅に停車中の列車が銃爆撃を受け、日本赤十字病院には爆弾の投下により犠牲者の数は21人を数えました。

伊達日本赤十字病院には犠牲になった四名の方達の慰霊碑が建てられています。

市街地中心部の公園には、被害を忘れず平和な時代が続く事を願い平和の鐘が移築されています。

この伊達空襲において、銃爆撃による傷跡が残っていた唯一の建物が石蔵倉庫でした。

この連載を始めた時には、ロシア軍によるウクライナへの攻撃は始まってはいませんでした。
偶然なのか必然か、次回は僕が祖父と父から受け継いだ戦時の話をお伝えします。専務