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歴史的建造物④

僕が小学2年生の時、祖父に連れられ八甲田山という映画を観に行きました。その道すがら石蔵に立ち寄り「昔、伊達にも空襲があり、その傷跡がこれだよ」と教えてくれました。
八甲田山という映画は、明治35年に青森の歩兵連隊210名中199名が死亡した八甲田雪中行軍遭難事件を題材にした悲劇なのですが、空襲の話とダブルパンチでとてもブルーな気持ちになったことを憶えています。
子どもでも時代劇をよく観ていた当時の背景もあり、もしかしたら連れて行ってとせがんだかもしれませんが、およそ小学2年生が観るとは思えない映画に、石蔵に、なぜに祖父は連れて行ったのかと思っていました。
人の親となり振り返ってみれば、戦争というものを孫に伝えたかったのだと思えるようになりました。

その記憶があったこともあり、後日父から、15歳の時に空襲を受け庭先の防空壕へ飛び込んだ事、石蔵までは数分の所に実家があるので土の中で地面を銃弾が走る音を聞き 恐ろしくて震えた事を話してもらいました。

今、戦争を体験した人も少なくなってきた中で、子ども達が昔話を聞く事が少なくなっていると思います。
この石蔵はその機会を与えてくれる建て物でした。解体されてしまった事がとても残念でなりません。
ウクライナの戦争をうけて僕ができる事の一つが、この街での戦争を祖父の想いと父の話を通して次世代に継承する事と思うのです…つづく。専務