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歴史的建造物⑤

国内での農産物の需要が高まり、明治33年に発令された産業組合法により、個人単位での営農ではなく、当時の伊達村でも各地域ごとに六つの産業組合を結成し、それぞれの組合によってたくさんの倉庫が建設されました。
昭和2年には三組合を合併し、10年後には残りの組合を吸収合併して一つの団体となりますが、昭和19年、戦時体制の食糧確保の為、国家に奉仕する団体として伊達町農業会へと変わります。

終戦を迎えた、昭和20年12月9日に連合軍最高司令官から農民の開放の指令が発せられ、日本政府の責任において農地改革と非農民的利害に支配されてきた農業団体の解体、農民の自主性に基づく農業協同組合組織の確立を命ぜられ、伊達町農業協同組合を結成、今の農協のはじまりです。

その後、穀物倉庫と加工品や生活用品の保管倉庫として使われてきた二つの倉庫も、昭和から平成へと時代が変わり、経済がさらに発展することで備蓄・流通形態が急速に様変わりし、 伊達農協も倉庫処分の検討を始める事となりました。

つづく。専務