2011年09月30日 追加記事

おつかれさまでした

今日はビオプラス西條デザインのKさんの、お祝いと共にある送別会です。
さくさく、ちゃくちゃくと仕事をするKさん。見習いたいです。良い意味で、とても常識的なものの見方をするKさん。共感します。クールを装っていますが、実はお喋り好きなKさん。そんなギャップが魅力的です。元気な赤ちゃんとお会いする日を楽しみにしていますよ!!!
☆関係者の皆様、万障お繰り合わせの上、会場へお集まりくださいませ。
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FIL2011-9月号発刊
今月号の特集は札幌国際映画祭(知らなかったー)!
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先日、読んだコラムに西岡常一さんの言葉がありました。わたしも自身も『木のいのち木のこころ』(草思社)を人からお借りして読みましたことを思い出しました。そのコラムの抜粋部分をそのままここに転載させてもらいます。
 西岡常一さんは、法隆寺の昭和の大修理(1300年ぶりといわれる)を行った宮大工の棟梁である。『木のいのち木のこころ〈天〉』(草思社)から、彼の言葉を少し長いが引き出してみる。
「口伝に『堂塔建立の用材は木を買わず山を買え』というのがあります。飛鳥建築や白鳳の建築は、棟梁が山に入って木を自分で選定してくるんです。それと『木は生育の方位のままに使え』というのがあります。山の南側の木は細いが強い、北側の木は太いけれども柔らかい、陰で育った木は弱いというように、成育の場所によって木にも性質があるんですな。山で木を見ながら、これはこういう木やからあそこに使おう、これは右に捻(ねじ)れているから左捻れのあの木と組み合わせたらいい、というようなことを見わけるんですな。これは棟梁の大事な仕事でした。今はこの仕事は材木屋まかせですわ。ですから木を寸法で注文することになります。材質で使うということはなかなか難しくなりましたな。材質を見る目があれば、この木がどんな木か見わけられますが、なかなか難しいでな」
「この大事なことを分業にしてしまったのは、やっぱりこうしたほうが便利で早いからですな。早くていいものを作るというのは悪いことではないんです。しかし、早さだけが求められたら、弊害が出ますな。製材の技術は大変に進歩しています。捻れた木でもまっすぐに挽(ひ)いてしまうことができます。木の癖(くせ)を隠して製材してしまいますから、見わけるのによっぽど力が必要ですわ。製材の段階で性質が隠されても、そのまま捻れがなくなるわけではありませんからな。必ず木の性質は後で出るんです。それを見越さならんというのは難しいでっせ」
「そうした木の性格を知るために、木を見に山に入っていったんです。それをやめてどないするかといいましたら、一つは木の性格が出んように合板にしてしまったんですな。合板にして木の癖がどうのこうのといわないようにしてしまったんですわ。木の性質、個性を消してしまったんです。ところが癖というのはなにも悪いもんやない、使い方なんです。癖のあるものを使うのはやっかいなもんですけど、うまく使ったらそのほうがいいということもありますのや。人間と同じですわ。癖の強いやつほど命も強いという感じですな。癖のない素直な木は弱い。力も弱いし、耐用年数も短いですな。ほんとなら個性を見抜いて使ってやるほうが強いし長持ちするんですが、個性を大事にするより平均化してしまったほうが仕事はずっと早い。性格を見抜く力もいらん」
「曲がった木はいらん。捻れた木はいらん。使えないんですからな。そうすると自然に使える木というのが少なくなってきますな。使えない木は悪い木や、必要のない木やというて捨ててしまいますな。これではいくら資源があっても足りなくなりますわ」
「依頼主が早よう、安うといいますやろ。あと二割ほどかけたら二百年は持ちまっせというても、その二割を惜しむ。その二割引いた値段で「うちは結構です」というんですな。二百年も持たなくて結構ですっていうんですな。千年の木は材にしても千年持つんです。百年やったら百年は少なくても持つ。それを持たんでもいいというんですな。ものを長く持たせる、長く生かすということを忘れてしまっているんですな。昔はおじいさんが家を建てたらそのとき木を植えましたな。この家は二百年は持つやろ、いま木を植えておいたら二百年後に家を建てるときに、ちょうどいいやろといいましてな。二百年、三百年という時間の感覚がありましたのや」
(村山昇)

※製材の技術のところ。今のプレカット現場でも、木の癖を見極められる人が挽いている工場もあります。「この人がいないと、本当に困るんです!」と言われながら機械に向かっていました。